2025年10月3日、Jリーグ創設初期に清水エスパルスでプレーし、多くのファンから愛された元ブラジル代表のエドゥー(本名:エドゥアルド・アントニオ・ドス・サントス)さんが亡くなりました。
享年58歳。
清水エスパルスは5日、公式X(旧Twitter)を通じて訃報を伝え、クラブOBとしての功績を称えるとともに、深い哀悼の意を表しました。
この記事では、エドゥーさんの死因や生い立ち、サッカー経歴、そして家族(妻・子供)について詳しくまとめます。
エドゥー(元エスパルス)の死因は腎臓疾患
エドゥーさんの死因は、腎臓疾患によるものと報じられています。
ブラジル・サンパウロ州バルエリにある病院で治療を受けていましたが、2025年10月3日、容体が急変し息を引き取ったとのことです。
腎臓疾患はブラジルでも深刻な健康問題の一つで、特に50代以降では慢性腎不全や合併症が命に関わるケースも少なくありません。
サッカー選手として激しい運動を重ねてきたエドゥーさんにとって、体への負担が長年蓄積していた可能性もあります。
清水エスパルスは公式声明で次のように発表しています。
「清水エスパルス在籍時(1993年)には“エドゥー”の愛称で親しまれ、いつも明るく、ゴール後にはエスパルスの帽子を被るパフォーマンスでファンをわくわくさせてくれました。今でも多くのサポーターの心にその姿が刻まれています。ご遺族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。」
その言葉通り、エドゥーさんは“陽気で魅せるサッカー”の象徴的存在でした。
エドゥーの生い立ち
エドゥアルド・アントニオ・ドス・サントスさんは、1967年2月2日にブラジル・サンパウロ州オザスコで生まれました。
サンパウロ州オザスコはブラジルでも有数の都市圏で、数多くの才能あるサッカー少年を輩出してきた地域です。
幼少期からサッカーに熱中し、地元クラブの下部組織に所属。10代後半で頭角を現し、1985年、名門パルメイラスに加入します。
ブラジル国内では当時から「テクニックとパワーを兼ね備えた攻撃的MF」として注目されていました。
家庭は貧しかったと伝えられており、エドゥーさん自身も「サッカーがなければ人生は違っていた」と語っていたことがあります。
彼にとってサッカーは、夢であり家族を支えるための希望でもあったのです。
華麗な経歴とプレースタイル
ブラジル代表としての活躍
1987年から1989年にかけて、エドゥーさんはブラジル代表として10試合に出場。
1987年のコパ・アメリカにも出場しており、名実ともに世界トップクラスのMFとして評価されていました。
さらに1986年には、名門パルメイラスの一員としてキリンカップに出場し優勝。
当時、日本でもプレーした三浦知良(カズ)やジョルジーニョらとともに戦い、ブラジル国内外で高い評価を受けました。
海外クラブでの経験
1989年からはメキシコのクラブ・アメリカに移籍。3年間で89試合に出場し、40得点を挙げるなど、圧倒的な攻撃力を見せつけます。
その後もブラジルのコリンチャンスやエクアドルのCSエメレク、スペインのレアル・バリャドリードなどでプレー。
国境を越えて愛された選手でした。
清水エスパルスでの伝説的1年(1993)
1993年、Jリーグ開幕元年。エドゥーさんは清水エスパルスに1年契約で加入しました。
この年のエスパルスには、トニーニョや長谷川健太らが所属しており、エドゥーはトニーニョへのアシスト役として期待されていました。
しかし、トニーニョが怪我で離脱すると、エドゥー自身がFWとして活躍。リーグ戦32試合で13得点という驚異的な成績を残しました。
特に印象的だったのが、ゴール後に清水エスパルスの帽子を被って喜ぶパフォーマンス。
その陽気な振る舞いは多くのファンの心をつかみ、「エスパルスの笑顔の象徴」と呼ばれるほどでした。
エドゥーの晩年と引退後
現役を退いた後、エドゥーさんは母国ブラジルで指導者として活動。
若い選手の育成や、地域クラブの技術指導に尽力しました。
特に貧困地域の子どもたちにサッカーを教える活動を続け、「サッカーで人生を変えられる」と熱く語っていたそうです。
彼のもとで育った選手の中には、ブラジル国内リーグで活躍する選手もいます。
しかし、晩年は健康に問題を抱え、腎臓疾患の治療を続けていました。
SNSでも「体調が良くない」とファンに心配されており、闘病生活を支えていたのは家族だったと言われています。
妻や子供 家族構成は?
エドゥーさんの妻や子供など家族構成に関する詳しい情報は、公には明らかになっていません。
ブラジル国内メディアや清水エスパルスの公式発表でも、家族に関する言及はなく、プライバシーが尊重されています。
現役時代から海外を渡り歩いたエドゥーさんは、私生活をあまりメディアに語らないタイプとして知られていました。
そのため、結婚の有無や子供の人数、家族とのエピソードなども公表されていません。
ただ、清水エスパルスのクラブ関係者のコメントやブラジルのファンからの追悼投稿を見る限り、
家族に支えられながら闘病生活を送っていたとみられています。
最期まで穏やかに家族と過ごしていたという報道もあり、温かい家庭を築いていた可能性が高いでしょう。
今後、現地メディアを通じて新たな情報が明らかになる可能性もありますが、
現時点では公式な家族構成についての詳細は確認されていません。
ファン・サポーターからの追悼の声
清水エスパルスの公式発表後、SNSには世界中のファンから追悼メッセージが相次ぎました。
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「エスパルスの帽子を被る姿、今でも忘れません」
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「Jリーグ初期を支えた偉大な助っ人。ありがとう、エドゥー」
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「あなたの笑顔がJリーグの原点でした」
当時を知るサポーターにとって、エドゥーは単なる外国人選手ではなく、“清水の家族”そのものでした。
まとめ:エドゥーの功績は永遠に
エドゥーさんは、Jリーグ初期を彩った伝説的なブラジル人プレーヤーでした。
清水エスパルスでの1年は短いものでしたが、彼の明るさとプレーは今もサポーターの記憶に深く残っています。
死因は腎臓疾患によるものとされますが、彼が残した功績や人柄は、これからも語り継がれるでしょう。
「サッカーを通して人を笑顔にした男」――エドゥー・マンガの名は、永遠にファンの心に刻まれています。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
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