2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪フィギュアスケート女子日本代表として注目を集める中井亜美選手。
世界の大舞台で戦う現在の姿からは想像できないほど、彼女の原点は「ごく普通の女の子」としての日常にありました。
この記事では、中井亜美選手の小学校・中学校時代のエピソードを中心に、生い立ちやフィギュアスケートを始めたきっかけ、周囲の支えと成長の軌跡を詳しく紹介します。
中井亜美のプロフィールと基本情報
中井亜美(なかい・あみ)選手は、2008年4月27日生まれ。
新潟県新潟市出身のフィギュアスケート女子シングル選手です。
所属はTOKIOインカラミ。
2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ冬季オリンピックの日本代表に選出され、10代ながら日本女子フィギュア界を背負う存在となりました。
主な戦績は以下の通りです。
・2026年四大陸選手権 2位
・2025年グランプリファイナル 2位
・2023年世界ジュニア選手権 3位
・2024年JGPファイナル 3位
・全日本選手権4位(2022年・2025年)
・2022年全日本ジュニア選手権3位
これらの実績は、長年にわたる努力と、環境選びの積み重ねによって築かれてきました。
出身小学校は女池小学校
中井亜美選手の出身小学校は、新潟市中央区にある女池小学校です。
2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪の日本代表決定を受け、女池小学校の校舎内には応援メッセージが掲示されました。
体育館の窓には、
「祝 オリンピック出場
がんばれ 中井亜美選手」
という大きな文字が外に向けて並び、学校の外からも見える形で掲示されています。
校内には、
「中井亜美せんぱい がんばれ!」
「女池小みんなで応援しています」
といった温かなメッセージがあふれ、母校全体が一体となって世界へ羽ばたく先輩を応援しています。
新潟市で過ごした幼少期
中井選手は新潟市で生まれ育ちました。
幼少期は、どこにでもいる活発な女の子だったといいます。
憧れの存在は、テレビで見た浅田真央選手。
華やかで力強い演技に心を奪われ、「自分もあんなふうに滑ってみたい」と思ったことが、フィギュアスケートとの最初の出会いでした。
フィギュアスケートを始めたのは5歳
中井亜美選手がフィギュアスケートを始めたのは5歳のときです。
ただし、当時の新潟市にはスケートリンクがありませんでした。
そのため、すぐに氷の上に立てたわけではなく、まずは似た競技として新体操を習い始めます。
柔軟性や体の使い方を身につけるための経験は、後のフィギュアスケートにも大きく生かされました。
その後、新潟市にスケートリンクが完成。
リンクができると同時にフィギュアスケートへ転向し、本格的な競技人生がスタートしました。
小学生時代の努力と才能
女池小学校に通っていた小学生時代、中井選手は学業と練習を両立する生活を送っていました。
まだ全国的に名前が知られる存在ではありませんでしたが、氷の上では人一倍の集中力を見せていたといいます。
テレビで浅田真央選手の演技を見ては、
「いつか自分もあんなジャンプを跳びたい」
と話していたそうです。
一日だけ入れ替わってみたい有名人として浅田真央選手を挙げ、「3回転アクセルを跳んでみたい」と語っていたエピソードからも、幼い頃から高い目標を持っていたことが分かります。
中学校は市川市立南行徳中学校
小学校卒業後、中井亜美選手は家族とともに千葉県市川市へ転居します。
進学先は、市川市立南行徳中学校でした。
この転居は、フィギュアスケートに集中するための大きな決断でもありました。
千葉県船橋市のリンクを拠点に練習を重ね、世界を目指す環境が整っていきます。
「普通の女の子」だった中学時代
南行徳中学校で3年間担任を務めた大島実さんは、中井選手をこう振り返っています。
「友達とのおしゃべりが好きな、普通の女の子でした」
掃除の時間には、ほうきを手にして何回転も回して遊ぶ姿も見られたそうです。
その一方で、身体能力は群を抜いており、20メートルを往復するシャトルランでは女子の学年トップの記録を残していました。
学業と競技の両立に奮闘
フィギュアスケートのシーズン中は、大会や合宿で学校を休むことも少なくありませんでした。
それでも中井選手は、学校に来ると休み時間を使って友達のノートを写し、遅れを取り戻そうと努力していたといいます。
「学校に来たら休む時間がないくらい、本当に頑張り屋さんでした」
という担任の言葉からは、競技だけでなく学業にも真剣に向き合う姿勢が伝わってきます。
中学時代に語っていた五輪の夢
中学1年生の教育相談で、中井選手は担任にこう語っていました。
「将来はオリンピックで金メダルを取るのが夢です」
その言葉は、単なる憧れではなく、具体的な目標として心に刻まれていたようです。
周囲の支えを受けながら、夢に向かって努力する覚悟が、中学生の時点ですでに芽生えていました。
けがと成長、変わった目つき
中学3年の全日本ジュニア選手権前、中井選手は腰を痛めます。
思うような結果が出ず、苦しい時期も経験しました。
しかし、その後の彼女はどこか変わったといいます。
「目に迷いがなくなり、自分のやるべきことを淡々とこなすようになった」
支えてくれる人への感謝や、恩返しをしたいという気持ちが、表情や姿勢に表れていたそうです。
この時期の経験が、精神的な成長につながったことは間違いありません。
練習拠点の移動と本格的な挑戦
2021年4月、中井選手は南行徳中学校入学と同時に、練習拠点を千葉県船橋市のMFアカデミーへ移します。
指導者は中庭健介コーチ。
ここから、2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪でのメダル獲得を視野に入れた、本格的な挑戦が始まりました。
所属契約と世界への飛躍
2023年1月には、TOKIOインカラミと所属契約を結びます。
環境面、サポート体制が整い、競技に専念できる状況が整いました。
通信制高校への進学やシニア転向を経て、2025年のグランプリシリーズ・フランス大会で優勝。
世界のトップ選手として五輪の切符をつかみ取りました。
母校が応援する理由
女池小学校や南行徳中学校の関係者が口をそろえて語るのは、「努力を惜しまない人柄」です。
派手さよりも、日々の積み重ねを大切にする姿勢。
その姿が、後輩たちにとっての大きな希望となっています。
まとめ
中井亜美選手は、
・新潟市立女池小学校出身
・市川市立南行徳中学校卒業
・5歳でフィギュアスケートを開始
・浅田真央選手に憧れて競技を志す
という道を歩んできました。
ごく普通の少女が、努力と環境選び、そして周囲の支えによって、オリンピック日本代表へと成長した軌跡。
ミラノ・コルティナの氷上で、その歩みがどのような演技として結実するのか。
中井亜美選手の挑戦から、今後も目が離せません。
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