2025年9月7日、全日本プロレス所属の若きレスラー 長尾一大心(ながお・たいしん)選手 が、わずか21歳という短い生涯に幕を下ろしました。
プロレスファンだけでなく、多くの人々にとって衝撃的なニュースとなり、ネット上ではその早すぎる死を悼む声が相次いでいます。
この記事では、長尾一大心選手の死因や生い立ち、経歴、そしてご両親や兄弟といった家族についても詳しく調査していきます。
長尾一大心の死因は「外傷性ショック」
長尾選手の死因は、外傷性ショック とされています。
2025年5月31日、全日本プロレスの巡業中に 団体のバスとの接触事故 が発生。
腹部が強く圧迫され、神奈川県内の病院へ救急搬送されました。
その後、集中治療室(ICU)で懸命な治療が続けられていましたが、約3か月後の9月7日、ついに帰らぬ人となってしまいました。
全日本プロレスは事故当初、詳細を明らかにしていませんでしたが、6月21日に「巡業バスとの接触事故」であることを正式に発表。
腹部損傷による重篤な状態で治療を続けていたものの、復帰は叶いませんでした。
事故による外傷性ショックは、出血や臓器の損傷によって全身の血流が保てなくなる危険な状態です。
プロレスラーという強靭な肉体を持ちながらも、事故の衝撃はそれほど深刻だったことがわかります。
生い立ちと幼少期:北海道釧路市出身
長尾一大心選手は 2003年9月13日、北海道釧路市 に生まれました。
出身地の釧路は、厳しい自然環境とともに、ウィンタースポーツが盛んな地域でもあります。
長尾選手もその環境の中で育ち、幼少期から アイスホッケー に打ち込みました。
小学生から中学生までの 9年間、アイスホッケーを経験。
所属していた中学校は「日本一練習が厳しい」と評されるほどの強豪校で、心身ともに大きく鍛えられたといいます。
この厳しい環境が、後にプロレスラーとして必要な粘り強さや精神力を養う土台となったのは間違いありません。
さらに高校時代には 柔道 を経験。プロレスを志すうえで欠かせない基礎体力と技術を身につけました。
プロレスとの出会いと憧れ
長尾選手がプロレスラーを志すきっかけは、意外にも 曾祖母の存在 でした。
彼が生まれる前に他界した曾祖母はプロレスファンで、その影響が代々伝わり、自然とプロレスへの興味が芽生えたといいます。
中学2年の頃には、地元で行われた 全日本プロレスの釧路大会を観戦。
試合後には、人気レスラー 宮原健斗選手と記念撮影 をする機会もあり、ますます憧れの気持ちが強まっていきました。
この出来事は、長尾少年にとって「自分もリングに立ちたい」という決定的な契機となりました。
プロレスラーを目指して:入門からデビューまで
高校卒業後、長尾選手はいったん社会に出て就職します。しかし、その夢をあきらめることはなく、トレーニングを続けながらプロレスラーになるチャンスを狙っていました。
そして2023年12月1日、全日本プロレスが主催する 公開入門テスト に挑戦し、見事に合格。夢の扉を開きました。
半年間の厳しい練習生期間を経て、2024年10月22日、全日本プロレス旗揚げ記念日の 後楽園ホール大会 にて正式デビュー。
対戦相手は先輩レスラーの井上凌選手で、ここから長尾選手のプロレス人生が始まりました。
さらにデビューからわずか5日後には、地元・北海道札幌で凱旋試合が行われました。
これが「長尾一大心 試練の3番勝負」の第1戦で、師匠である 青柳優馬選手とのシングルマッチ が組まれました。結果は惜しくも敗戦でしたが、プロレスラーとしての覚悟を示した試合となりました。
プロフィールまとめ
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本名 / リングネーム:長尾 一大心(ながお たいしん)
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生年月日:2003年9月13日
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没年月日:2025年9月7日(21歳没)
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出身地:北海道釧路市
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身長 / 体重:164cm / 75kg
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スポーツ歴:アイスホッケー、柔道
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所属:全日本プロレス
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トレーナー:青柳優馬
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デビュー戦:2024年10月22日・後楽園ホール
両親や兄弟は?
長尾一大心選手の ご両親や兄弟についての詳細な情報は公開されていません。プロレス団体や報道機関も、家族のプライバシーに配慮しているため、明らかになっていないのが現状です。
ただ、全日本プロレスの発表では「今後につきましてはご両親と相談の上、お知らせいたします」と記されており、家族が彼の活動や最後の時間を支えていたことは間違いありません。
ネット上では、「ご両親はどれだけ誇りに思っていただろう」「兄弟がいるなら、とても悲しい思いをしているはず」といった声も多く見られます。21歳という若さで夢を叶え、これからの活躍が期待されていただけに、その無念さは計り知れません。
ファンや関係者の声
長尾選手の死去が発表されると、SNSには多くの追悼コメントが寄せられました。
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「まだデビューしたばかりなのに、あまりにも早すぎる」
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「釧路から全日本のリングに立つなんてすごいと思っていた。これからの成長を見たかった」
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「青柳選手に鍛えられながら、どんどん強くなると思っていたのに残念」
所属団体である全日本プロレスも、「これまでのご声援に感謝し、ご冥福をお祈りいたします」と公式声明を発表しました。プロレス界全体にとっても、大きな損失といえるでしょう。
まとめ
長尾一大心選手は、北海道釧路市で生まれ育ち、アイスホッケーや柔道を経験しながらプロレスラーを目指し、21歳で夢を叶えた新鋭でした。しかし、巡業中の不慮の事故により 外傷性ショック を負い、懸命な治療もむなしく亡くなってしまいました。
ご両親や兄弟など家族についての詳細は明らかになっていませんが、彼を支え続けた存在であることは確かです。これからの成長と活躍が大いに期待されていただけに、その死は本当に惜しまれます。
長尾選手の若き情熱と努力は、多くのファンの記憶に残り続けるでしょう。心よりご冥福をお祈りいたします。
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