初鹿野裕樹の両親 父親の職業や母親とのエピソード 兄弟はいるの?

参政党所属の参議院議員として2025年に初当選を果たした 初鹿野裕樹(はじかのひろき)さん

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柔道7段の実力者であり、20年以上にわたり警視庁に勤務した経歴を持つ異色の政治家です。

その強靭な精神力と行動力の背景には、幼少期から青年期にかけて大きな影響を与えてくれたご両親や家族の存在がありました。

本記事では、初鹿野裕樹さんの 両親の職業やエピソード、兄弟との関係 に焦点を当て、その生い立ちを深く掘り下げていきます。


目次

はじかのひろきの両親はどんな人?

はじかのひろきさんは、神奈川県横須賀市で生まれ育ちました。

小学生のころから柔道を始め、高校では全国大会に出場し、東海大学体育学部に進学。将来は柔道を生かせる職業に就きたいと考え、警視庁に入庁しました。

そんな彼を支えていたのが、ご両親です。

実は、はじかのさんは 26歳のときにご両親を同時に亡くす という大きな悲しみを経験しています。

母親は難病を患い、寝たきりの生活を余儀なくされていました。

その介護を長年担っていた父親は、健康そうに見えていたものの、ある日突然、目の前で倒れてしまいます。

警察官として救命救急の知識を持っていたはじかのさんは、必死に心臓マッサージを施しました。

しかし、父親の意識が戻ることはなく、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。

父の看病疲れが重なったことが原因だったのではないか――はじかのさんは後年そう語っています

。献身的に妻を支えてきた父親と、病と闘った母親。二人を同時に失ったことは、彼の人生観を大きく変える出来事となりました。


父親の職業と家族への思い

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はじかのひろきさんの父親は、地元で堅実に働きながら家族を支える存在でした。

とりわけ、母親が病に倒れたあとは「妻を支えること」を第一に考え、家族の中心であり続けたといいます。

健康そうに見えていた父が突然倒れる――それはまさに「青天の霹靂」でした。

しかも、その瞬間を目の当たりにし、救おうと全力を尽くしたにもかかわらず命を救えなかった経験は、はじかのさんにとって忘れられない記憶となっています。

初任給で最初にしたことは、両親への感謝を込めて 豪華な食事をごちそうしたこと。当時から両親に強い感謝の気持ちを抱いていたことがうかがえます。

「もっと親孝行をしたかった」――この思いは、その後の彼の人生の大きな原動力にもなりました。


母親とのエピソード

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母親は難病を抱えながらも、幼いころのはじかのさんを温かく見守り続けてくれました。とくに末っ子として甘やかされて育った彼にとって、母の存在は大きな安心感を与えるものでした。

しかし、病が進行してからは寝たきりの生活となり、父がその介護を一身に担っていました。

はじかのさん自身も、母親の苦しむ姿を見ながら「自分にできることは何だろう」と悩んだ時期があったといいます。

母を支える父、父を支える自分――その家庭での体験は、彼の「人を守る」姿勢の基盤となり、のちの 警察官としての使命感、さらには政治家として国を守る志 にもつながっていきました。


兄弟はいるの?

はじかのさんには兄がいます。ただし、年の離れた兄であったため、一緒に過ごす時間は少なく、末っ子のはじかのさんは自然と両親に可愛がられて育ちました。

兄は早くから独立していたため、はじかのさんにとっては両親がより身近で頼れる存在でした。

両親の死をきっかけに「家族を大切にすること」「恩を忘れないこと」を強く意識するようになったといいます。


両親の死が与えた影響と政治家への道

両親を同時に失った26歳のとき、はじかのさんは「もっとできることがあったのではないか」という自責の念に駆られました。

とくに「親孝行ができなかった」という後悔は強く、その後の人生の指針となります。

警察官として働くなかで、ストーカー殺人事件や理不尽な犯罪を目の当たりにし、「法律を作る立場でなければ守れない命がある」と痛感。両親への後悔と、家族を守るために全力を尽くしたいという思いが、政治家を志す大きなきっかけとなりました。

彼が掲げる「誇り高き日本を取り戻す」という信念の根底には、家族を守れなかった後悔と、ご両親への強い思いがあるのです。


まとめ

はじかのひろきさんのご両親は、彼の人格形成に大きな影響を与えました。

  • 父親は母を支え続け、最期は突然の死を迎えた

  • 母親は難病と闘いながらも家族を見守り続けた

  • 年の離れた兄がいるが、末っ子として両親から深く愛されて育った

  • 親孝行できなかった後悔が、政治家を志す原動力となった

両親の死は深い悲しみを伴いましたが、その経験がはじかのさんを 「人を守り、国を守る」という使命感に駆り立てる政治家 へと導いたといえるでしょう。

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