塩屋浩三の死因 生い立ちや経歴 嫁や子供 家族構成 代表作品は

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声優として、そして俳優として長年にわたり活躍してきた塩屋浩三さんが、2026年1月20日に亡くなったことが所属事務所から発表されました。

「ドラゴンボールZ」の魔人ブウをはじめ、独特の声質と存在感で数多くの作品に命を吹き込んできた名バイプレイヤーの訃報に、多くのファンや関係者が深い悲しみに包まれています。

本記事では、塩屋浩三さんの死因、生い立ちや経歴、結婚や家族構成、そして代表作品について、これまでに公表されている情報をもとに詳しくまとめます。

目次

塩屋浩三の訃報と死因について

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塩屋浩三さんは、2026年1月20日に71歳で永眠しました。

所属事務所である青二プロダクションは、1月28日に公式サイトで訃報を発表し、「弊社所属俳優 塩屋浩三儀(71歳) 令和8年1月20日に永眠いたしました」と報告しています。

また、葬儀については「遺族の意向により近親者のみで執り行われた」とされ、静かに見送られたことが明かされました。

なお、死因については公式には一切公表されていません。

病気であったのか、あるいは別の事情があったのかなどについても、現時点で確定的な情報はなく、詳細は不明です。

そのため、憶測や推測は避け、ここでは「死因は公表されていない」という事実のみを記載します。

塩屋浩三の生い立ち

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塩屋浩三さんは1955年8月18日、鹿児島県に生まれました。

幼少期に鹿児島で過ごした後、小学3年生のときに神奈川県川崎市へ転居しています。

弟であり同じく声優の塩屋翼さんの証言によると、子どもの頃の塩屋浩三さんは非常に無口な性格だったといいます。

その様子を心配した母親が、「活発な子たちの仲間に入れば変わるのではないか」と考え、小学5年生の頃に弟とともに劇団ひまわりへ入団させたことが、芸能の道に入るきっかけとなりました。

子役時代と一度の挫折

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劇団ひまわりに入団後、塩屋浩三さんは子役として活動を開始します。

テレビドラマ「悪魔くん」では情報屋役としてレギュラー出演を果たし、早くから現場を経験しました。

しかしその一方で、学校生活との両立は難しく、小学5年生から6年生にかけては、授業にほとんど出られない時期もあったと語られています。

また、街中で指をさされることや、周囲の視線に強いストレスを感じるようになり、「もう辞めたい」という気持ちが次第に強くなっていきました。

その結果、中学生の時に劇団を退団し、「もう役者の仕事はしない」と心に決め、一度は演技の世界から完全に離れています。

高校時代と再び芝居の道へ

塩屋浩三さんは川崎市立橘高等学校へ進学します。

高校時代も、かつての子役時代を知る同級生から心ない言葉を向けられることがあり、複雑な思いを抱えていたといいます。

それでも、芝居そのものが嫌いになったわけではなく、演劇への思いは心のどこかに残り続けていました。

高校卒業後、太陽プロモーション、青年座研究所を経て劇団青年座に所属。

その後、養成所時代の仲間とともに劇団U・快連邦を立ち上げ、森静子作「青春物語」で初舞台を踏みます。

声優としての転機と青二プロダクション所属

演劇活動を続ける中で、生活の厳しさという現実にも直面します。

そんな中、すでに青二プロダクションに所属していた弟・塩屋翼さんの存在や、「声の仕事が好きだった」という思いから、声優という道を選択しました。

キンダースペースを経て青二プロダクションに所属し、1982年にテレビアニメ「機甲艦隊ダイラガーXV」で声優デビューを果たします。

当初は「食べていくための仕事」として始めた声優業でしたが、次第に評価を高め、多くの作品に欠かせない存在となっていきました。

塩屋浩三の代表作品

塩屋浩三さんの名を広く知らしめた代表作のひとつが、「ドラゴンボールZ」の魔人ブウ役です。

コミカルでありながら、どこか不気味さと哀愁を併せ持つ魔人ブウのキャラクターは、塩屋さんの声によって唯一無二の存在となりました。

そのほかにも、
「忍たま乱太郎」第三協栄丸
「ワールドトリガー」鬼怒田本吉
「ゲゲゲの鬼太郎(第4作)」子なき爺

など、肥満体型や巨漢のキャラクター、憎めない悪役を数多く演じています。

独特の声質を生かし、アニメ、洋画吹き替え、ゲーム、ナレーションと幅広い分野で活躍しました。

嫁や子供はいるのか 家族構成について

塩屋浩三さんの結婚歴や、妻、子供の有無については、公式な情報は公表されていません。

プライベートをあまり語らない人物であったため、家族構成の詳細についても不明な点が多いのが実情です。

公表されている家族情報として確認されているのは、
弟が声優の塩屋翼さん
妹がいること

のみとなっています。

また、叔父が自衛隊に所属しており、パイロット志望だったというエピソードも知られています。

人柄と声優としての評価

塩屋浩三さんは、鹿児島弁を話す一面もあり、現場では穏やかで温厚な人物だったと語られています。

趣味はギター、ボウリング、野球、お酒、カラオケなど多岐にわたり、親しみやすい性格で後輩からも慕われていました。

「悪役だけれど憎めない」「重厚なのにどこかユーモラス」

そうしたキャラクターを自然に演じられる稀有な声優であり、日本のアニメ史に確かな足跡を残した存在と言えるでしょう。

まとめ

塩屋浩三さんは、子役として芸能界に入り、一度は挫折を経験しながらも、再び芝居と向き合い、声優として大きな成功を収めました。

死因は公表されていませんが、71歳まで第一線で活躍し続けたその人生は、多くの作品とともにこれからも語り継がれていくはずです。

塩屋浩三さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。