世界的な評価を受け、日本のクラシックギター界を長年けん引してきたギタリスト、山下和仁さんが、2026年1月24日、東京都内で病気のため亡くなりました。
64歳でした。
オーケストラ作品やピアノ曲をクラシックギター1本で演奏するという前例の少ない挑戦を次々と成功させ、その超絶技巧と深い音楽性は、日本国内のみならず世界中の音楽ファンや作曲家に強い衝撃を与えてきました。
この記事では、山下和仁さんの死因、学歴やこれまでの経歴、そして妻や子供、家族構成について、わかっている情報をもとに詳しく整理していきます。
山下和仁の死因について
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— かず- (@kzooooo) January 28, 2026
山下和仁さんは、2026年1月24日午後2時23分、東京都内で病気のため亡くなりました。
死因については「病気」とのみ公表されており、具体的な病名や闘病期間などの詳細は明らかにされていません。
告別式は近親者のみで執り行われ、静かに見送られました。
喪主は長女の紅弓(こゆみ)さんが務めています。
世界的な活動を続けながらも、近年は新進作曲家の作品紹介や家族との音楽活動にも力を入れていただけに、突然の訃報に驚きと悲しみの声が広がりました。
山下和仁の学歴
山下和仁さんは、音楽一筋の人生を歩んできた人物という印象が強いですが、実は大学では工学や経済学も学んでいます。
1979年4月
長崎大学工学部材料工学科に入学。
その後、専門課程進学のタイミングで経済学部へ転籍し、
1984年3月に長崎大学経済学部を卒業しています。
幼少期から世界レベルの演奏活動を行いながら、大学で一般学問を修めていた点は、山下さんの知的な音楽構築力や分析的なアプローチにもつながっていたのではないかと感じさせます。
山下和仁の生い立ちとギターとの出会い
山下和仁さんは、1961年3月25日、長崎県長崎市に生まれました。
幼い頃から、父である山下亨さんからギターの手ほどきを受け、8歳で本格的にギターを学び始めます。
この父親の存在が、山下和仁さんの音楽人生の原点となりました。
早くから才能は際立っており、10代のうちに国内外で注目を集める存在となっていきます。
16歳で世界三大国際コンクール制覇という快挙
山下和仁さんの名を世界に知らしめたのは、16歳のときの快挙でした。
スペインのラミレス国際ギターコンクール、
イタリアのアレッサンドリア国際ギターコンクール、
フランスのパリ国際ギターコンクール。
この世界三大ギターコンクールすべてで、史上最年少での優勝を果たします。
この記録は現在でも語り草となっており、日本のクラシックギター史においても極めて重要な出来事でした。
独自路線を切り開いた演奏と編曲の世界
山下和仁さんの最大の特徴は、通常のクラシックギターの枠に収まらないレパートリーにあります。
ムソルグスキーのピアノ組曲「展覧会の絵」をギター独奏で全曲演奏した試みは、特に高く評価され、ドイツ・レコード賞も受賞しました。
さらに、
ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」、
ストラヴィンスキー「火の鳥」、
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、
バッハの無伴奏ヴァイオリン・チェロ作品、
リストの「ハンガリー狂詩曲第2番」など、
本来ギターとは異なる楽器や編成で書かれた名曲を、次々と独奏用に編曲し、演奏してきました。
これらは単なる技巧誇示ではなく、作品の構造や精神性を深く理解した上で再構築されたものであり、作曲家や指揮者からも高く評価されています。
世界的評価と文化庁芸術祭大賞
山下和仁さんは、世界各国でソロリサイタルを開催し、大規模な音楽フェスティバルにも招かれて演奏してきました。
また、各地の民族音楽の調査や研究にも熱心に取り組み、その成果を演奏や編曲に反映させています。
1999年度には、アルバム「黎明期の日本ギター曲集」で文化庁芸術祭大賞を受賞しました。
この受賞は、演奏家としてだけでなく、日本の音楽文化を掘り起こし、世界へ発信した功績が評価されたものといえます。
作曲家に愛された存在
山下和仁さんの音楽性と技術は、多くの作曲家にインスピレーションを与えてきました。
渡辺香津美さんの「アストラル・フレイクス」、
吉松隆さんの「天馬効果」など、
山下さんに捧げられたオリジナル作品も数多く存在します。
近年は、妻である藤家渓子さんの作品に加え、アジアの新進作曲家の作品紹介にも力を注いでいました。
妻は現代音楽作曲家・藤家渓子
山下和仁さんの妻は、現代音楽作曲家の藤家渓子さんです。
1963年7月22日生まれ、京都府京都市出身。
東京芸術大学大学院を修了し、尾高賞を2度受賞するなど、日本を代表する作曲家の一人として活躍しています。
長年長崎県を拠点としていましたが、2020年以降は西アフリカのブルキナファソに活動拠点を移しています。
なお、著書や公式ホームページでは「藤家溪子」という表記を用いています。
音楽家同士の夫婦として、創作と演奏の両面で深い関係を築いてきました。
子供や家族構成について
山下和仁さんには、子供が3人いることが公表されています。
長女は紅弓(こゆみ)さんで、山下さんの告別式では喪主を務めました。
近年は、この3人の子供たちとの合奏にも取り組み、家族で音楽を共有する姿が高く評価されていました。
また、妹の山下尚子さんとのデュオも知られており、音楽一家としての側面も強い人物でした。
山下和仁が残したもの
山下和仁さんは、クラシックギターの可能性を大きく広げた存在でした。
不可能と思われていた作品を次々とギターで表現し、世界中の演奏家に新たな道を示しました。
その音は、これからも多くの演奏家や聴衆の中で生き続けていくでしょう。
64年という生涯は決して長くはありませんでしたが、その足跡は、日本音楽史に深く刻まれています。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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