【朝ドラ】風、薫るのあらすじ モデルとなった大関和・鈴木雅ってどんな人物

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NHKの連続テレビ小説第114作となる『風、薫る』は、2026年前期に放送される予定の注目作品です。
本作は、明治時代という激動の時代を舞台に、日本の看護の黎明期を生きた二人の女性をモチーフにした物語です。

主人公は、それぞれに生きづらさを抱えた二人の女性。
まだ看護という職業が広く認知されていない時代に、彼女たちは西洋式の看護学を学び、患者の命を守るために奔走します。

本記事では、朝ドラ『風、薫る』のあらすじや見どころ、そしてモデルとなった大関和(おおぜき ちか)と鈴木雅(すずき まさ)という人物について詳しく解説します。


目次

朝ドラ「風、薫る」とはどんなドラマ?

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『風、薫る』は、明治時代の日本に誕生した看護婦養成所を舞台に、二人の女性の成長と友情を描いた作品です。

脚本を担当するのはドラマ脚本家の
吉澤智子

また、作品の原案には
明治のナイチンゲール 大関和物語
が使われています。

主演は、主人公・一ノ瀬りん役を
見上愛

もう一人の主人公・大家直美役を
上坂樹里
が演じます。

連続テレビ小説としては珍しい「血縁関係のないダブルヒロイン」の物語である点も注目されています。


朝ドラ「風、薫る」のあらすじ

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物語の舞台は文明開化の進む明治時代。

西洋文化や医学が急速に日本へと流れ込み、それと同時に西洋式の看護学も伝わりました。

まだ女性の職業がほとんど存在しなかった時代、正式な教育を受けた看護師は「トレインドナース」と呼ばれました。

物語は、日本で看護婦養成所が誕生した1885年前後から始まります。

二人の主人公

主人公の一人は、一ノ瀬りん。
元家老の家の娘として育ちましたが、不運な出来事が重なり若くしてシングルマザーとなります。

もう一人の主人公は大家直美。
生まれてすぐ親に捨てられ、教会で牧師に育てられました。

まったく違う人生を歩んできた二人は、看護婦養成所で出会います。

養成所には様々な事情を抱えた女性たちが集まっていました。

彼女たちは手探りで看護教育を受けながら、次のような問いに向き合っていきます。

・看護とは何か
・患者と向き合うとはどういうことか
・女性が働くとはどういうことか

この問いを通じて、二人は大きく成長していくのです。


明治の社会と女性たち

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当時の日本は大きく変わりつつありました。

文明開化によって西洋文化が広まり、社会制度も次々と変化していきます。

物語の中では、鹿鳴館の華として知られた
大山捨松

や、明六社の思想にも関わった商人
清水卯三郎

といった人物とも出会い、主人公たちは新しい社会の空気を感じていきます。

しかし、社会の変化の裏側では格差や差別も存在していました。

女性が職業を持つことすら珍しい時代。

看護という仕事も理解されておらず、彼女たちは偏見や困難に直面します。


トレインドナースとしての挑戦

養成所を卒業した二人は、大学病院でトレインドナースとして働き始めます。

しかし、当時の医療現場では看護の役割がまだ確立されていませんでした。

医師から軽視されることもあり、仕事の価値を理解してもらえないことも多かったのです。

さらに、主人公のりんは職場を追われることになります。

一方の直美も、アメリカ留学を目前に思わぬ事件に巻き込まれてしまいます。

二人は別々の道を歩むことになりますが、物語はそこで終わりません。


疫病との戦い

明治時代、日本ではコレラや赤痢といった感染症が猛威を振るっていました。

医療体制も整っておらず、多くの人々が命を落とします。

再び出会った二人は、看護師として疫病と戦う決意をします。

衛生管理や感染対策を徹底しながら、患者を守るために奮闘していくのです。

この過程で、二人は互いに支え合いながら「最強のバディ」となっていきます。


モデルとなった人物① 大関和とは

大関和は、日本の近代看護の先駆者の一人として知られる人物です。

1858年、現在の栃木県大田原市黒羽地区に生まれました。

幕末の武家の家に生まれた和は、黒羽藩の重臣だった父のもとで育ちます。

しかし、時代は幕末から明治へと移り変わり、武士の身分制度も崩れていきます。

和の人生もまた、大きな変化を迎えました。


大関和の結婚と離婚

1876年、和は渡辺豊綱と結婚します。

その後、長男と長女を出産しますが、夫婦関係はうまくいかず離婚となりました。

当時の社会では離婚した女性が働くことは非常に難しい時代でした。

しかし和は、人生を切り開くために上京します。


看護師への道

東京で英語を学んでいた和は、牧師
植村正久
の勧めで看護の道へ進むことになります。

1886年、桜井女学校附属看護婦養成所に入学。

この養成所は日本初期の看護学校の一つで、和は第1期生として学びました。

そこで出会ったのが鈴木雅でした。


日本初期の看護婦長に

1888年、養成所を卒業した和は、
帝国大学医科大学第一医院(現在の東大病院)で働き始めます。

そして外科の看護婦長に就任。

これは当時としては非常に画期的なことでした。

女性が医療現場の重要な役職に就くことはほとんどなかったからです。


感染症対策と看護教育

その後、新潟県の病院で看護長を務めながら、看護教育にも力を入れました。

また、コレラや赤痢といった感染症対策にも尽力します。

ナイチンゲール方式に基づき、

・清掃の徹底
・換気
・排泄物の管理
・患者の身体の清潔保持

といった衛生管理を実践しました。

これは当時の日本では非常に先進的な医療活動でした。


看護の普及に貢献

大関和は看護の普及のために多くの著書も残しています。

代表的な著書には

・『派出看護婦心得』
・『実地看護法』

などがあります。

これらの書籍は、看護師の役割や実践的な看護方法をまとめたもので、後の看護教育にも大きな影響を与えました。


モデルとなった人物② 鈴木雅とは

もう一人のモデルが
鈴木雅です。

彼女もまた、日本の近代看護を支えた重要人物の一人です。

1858年に生まれ、旧姓は加藤。

父は幕臣で、鳥羽伏見の戦いなど幕末の戦争にも参加した人物でした。


若くして未亡人に

雅は1878年に軍人の鈴木良光と結婚します。

しかし夫は1883年に病死。

二人の子どもを抱えた未亡人となりました。

その後、彼女は教育を受け直し、看護の道へ進みます。


看護教育の第一期生

1886年、桜井女学校附属看護婦養成所に入学。

ここで大関和と出会い、共に学ぶことになります。

二人は同じ時代に看護教育を受けた、日本最初期のトレインドナースでした。


日本初の派出看護婦会

鈴木雅の最大の功績は、日本初の派出看護婦会を設立したことです。

1891年、東京本郷に慈善看護婦会(後の東京看護婦会)を設立。

在宅患者の看護を行う派出看護事業を始めました。

これは現在の訪問看護の原型ともいえる取り組みでした。


衛生運動にも参加

鈴木雅は看護活動だけでなく、衛生教育にも力を入れました。

女医の
荻野吟子
などと共に、大日本婦人衛生会を設立。

雑誌『婦人衛生雑誌』を発行し、女性の健康や衛生知識の普及に努めました。


二人が日本看護に残した功績

大関和と鈴木雅は、それぞれ異なる道を歩みながらも、日本の看護界に大きな足跡を残しました。

主な功績は次の通りです。

・近代看護教育の確立
・派出看護(訪問看護)の制度化
・感染症対策の普及
・看護師の社会的地位向上

これらの活動によって、看護師という職業が社会に認められるようになっていきました。


まとめ

朝ドラ『風、薫る』は、日本の看護の歴史を支えた二人の女性をモチーフにした作品です。

モデルとなった
大関和と鈴木雅は、まだ女性の社会進出が難しい時代に看護という新しい職業を切り開きました。

感染症と戦い、看護教育を広め、医療の発展に貢献した彼女たちの人生はまさに波乱万丈です。

ドラマでは、史実をもとにしながらもフィクションとして大胆に再構成されています。

そのため、歴史的事実とドラマの物語がどのように融合するのかも大きな見どころと言えるでしょう。

明治という激動の時代の中で、女性たちがどのように自分らしく生きようとしたのか。

『風、薫る』は、そんな力強い物語を描く朝ドラとして、多くの視聴者の注目を集めています。

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