2024年7月9日、日本人女性として初めて北極点に到達した冒険家であり、昭和の銀幕を彩った大女優・和泉雅子(いずみ・まさこ)さんが、原発不明がんのため、東京都内の自宅で静かにこの世を去りました。
享年77歳。すでに生前葬をすませており、本人の遺志により、告別式やお別れ会は行われないとのことです。
この記事では、和泉雅子さんの死因や結婚歴、子供の有無、弟との関係について掘り下げながら、彼女の人生や功績、結婚を選ばなかった理由についても詳しくご紹介します。
和泉雅子の死因は「原発不明がん」
関係者によると、2024年5月に自宅で倒れて入院。その後退院し、自宅で療養していたものの、7月9日に体調が急変し、そのまま帰らぬ人となりました。
死因は「原発不明がん」。これは、体内のどこかにがんが発生したにも関わらず、原発(がんの出発点)が不明なまま転移してしまう非常に珍しいタイプのがんで、高齢者に多いのが特徴です。
最後は自宅で静かに過ごされていたとのことで、彼女らしい穏やかな最期であったともいえるかもしれません。
和泉雅子は結婚していた?夫や子供は?
結論から申し上げると、和泉雅子さんは生涯独身でした。
正式な結婚歴はなく、旦那さんや子供もいません。熱愛報道やゴシップもほとんどなく、プライベートは常に謎に包まれていた人物でもありました。
では、なぜ結婚という選択をしなかったのでしょうか?
結婚しなかった理由①:冒険家としての人生を選んだ
和泉雅子さんといえば、日本人女性として初めて北極点に到達したことで有名です。
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初挑戦は1985年(38歳)
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再挑戦は1989年(42歳)で徒歩による到達に成功
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総距離1700kmをソリで進むという過酷な旅
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当時、到達者としては世界で2人目、徒歩で到達したのは世界初
この偉業を成し遂げるために、体重を増やし(最低でも60kgが必要だったため、68kgに)、資金として約1億円の費用を借金で捻出。
この借金もわずか4年で完済するなど、圧倒的な行動力と意志の強さを持ち合わせていました。
恋愛や結婚よりも、極地探検や大自然との闘いの方に心が向いていたことが、結婚しなかった一因であることは間違いありません。
結婚しなかった理由②:母親が付き人を務めていた
もうひとつ、結婚しなかった理由として挙げられるのが、母親の存在です。
和泉雅子さんは10歳で劇団若草から芸能活動を開始。14歳のときに日活入りし、「日活三人娘」として一世を風靡しました。
その間、母親が26歳になるまで付き人として同行しており、プライベートは完全に管理されていた状態だったといいます。
今のようにスマホで連絡先を交換することもできず、共演者と食事や交流の場を持つこともなかったため、恋愛の機会自体が極めて少なかったというのが実情です。
和泉雅子の「結婚観」とは?
過去に和泉雅子さんは、テレビ番組で自虐的に「昔はきれいだったのに今は別人みたいだってよく言われる」と笑い飛ばしていたことがあります。
極地の強い紫外線の影響で顔にしみやしわが増えたことを気にしていたものの、それ以上に彼女にとっては、冒険の魅力の方がずっと勝っていたようです。
若い頃には結婚願望もあったかもしれませんが、冒険家としての人生を選んだ瞬間から、その気持ちは自然と消えていったのかもしれません。
和泉雅子に弟はいる?どんな人物?
和泉雅子さんには弟がいるとされていますが、芸能活動をしていたわけではないため、詳細な情報は一切公開されていません。
プライベートな部分を守る姿勢が強かった彼女にとって、家族も「公にしないべき存在」だったのでしょう。
弟さんも、姉の名声や名誉を背負いながらも、表に出ることなく支えていたのかもしれません。
北海道・士別市でのログハウス生活とボランティア活動
和泉雅子さんは1998年、北海道士別市に「マークン山荘」と名付けた大型ログハウスを建設。
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敷地面積:4000坪
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建物面積:75坪
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ロケーション:180°オーシャンビューの絶景
このログハウスは単なる贅沢ではなく、ボランティア活動の拠点でもありました。
地元の観光課と連携し、「寒いのへっちゃら隊」という子供向けアウトドア体験イベントを開催。
冬場に家にこもりがちな子供たちを外に連れ出し、ログハウスで暖かい食事を提供するなど、地域貢献にも精力的に取り組んでいました。
芸能人ではなく「人間・和泉雅子」としての人生
1963年の映画『非行少女』でモスクワ国際映画祭金賞を受賞。吉永小百合、松原智恵子とともに「日活三人娘」として国民的スターとなった和泉雅子さん。
しかし、女優業で大成功を収めた後、彼女はその地位に安住せず、未知の世界へと自らの足で歩みを進めました。
北極点への到達は彼女の人生を象徴する大きな成果でしたが、それだけでなく、人生を他人の期待ではなく自分の好奇心で選び抜いたその姿勢が、今も多くの人の心を打っています。
おわりに:和泉雅子の人生は「挑戦の連続」だった
和泉雅子さんの人生は、まさに**「冒険と挑戦の連続」**でした。
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子役からスタートし女優として成功
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世界初の女性徒歩での北極点到達
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母とともに生きた青春期
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結婚ではなく、自らの好奇心を選んだ人生
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ログハウスでのボランティア活動
結婚していないからといって不幸だったわけでは決してなく、むしろ誰よりも濃く、充実した人生を歩んでいたのではないでしょうか。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
和泉雅子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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