2025年4月、中内田充正厩舎で調教助手を務め、数々の名馬を担当してきた松崎圭介(まつざき・けいすけ)さんが49歳の若さでこの世を去りました。
突然の訃報に、競馬関係者やファンからは驚きと悲しみの声が広がっています。
松崎さんは2022年の牝馬三冠馬・リバティアイランドや、2018年の阪神ジュベナイルフィリーズを制したダノンファンタジーなどを担当し、「牝馬の名手」としても知られていました。
今回は、松崎圭介さんの死因や家族構成、結婚歴、経歴や生い立ちについて、わかっている情報をまとめてお伝えします。
松崎圭介さんの死因は?
中内田厩舎の公式サイトによると、松崎圭介さんは在職中に病に倒れ、闘病生活を送っていたことが明らかになっています。
具体的な病名や詳しい病状については公表されていませんが、体調の悪化により、海外遠征(ドバイ)への帯同も叶わなかったとのことです。
ご家族のコメントによれば、
「本来であれば辛い闘病生活も、リバティアイランドをはじめとした担当馬たち、そして中内田厩舎の方々の手厚いサポートに支えられ、素晴らしく、かけがえのない時間を過ごすことができました」
とあり、病床にあっても最後まで仕事や馬への愛情を失わなかったことがわかります。
亡くなった日は2025年4月12日。そのわずか数日後には、担当していたリバティアイランドもこの世を去っており、「あまりにも短期間での別れ」に厩舎関係者も胸を痛めていました。
妻や子供、家族について
松崎圭介さんには妻がいたことが、ご家族からの公式コメントで明らかになっています。ただし、お子さんの有無や家族構成については公表されておらず、プライバシーを尊重するため詳細は伏せられています。
ご家族からの言葉には、松崎さんを支えてくれた仲間やファンへの感謝の気持ちが溢れており、妻として、そして家族として最後まで寄り添い続けた姿がうかがえます。
松崎圭介さんの経歴
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1976年2月13日 福岡県豊前市生まれ
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北海道・大樹ファームで勤務
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JRA競馬学校に入学
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栗東・藤岡範士厩舎に所属
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藤岡厩舎解散後、中内田充正厩舎へ
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厩舎長としても活躍、キャリアは24年目
調教助手としての松崎さんは特に牝馬の管理に優れていたとされ、厩舎内外からも高い評価を受けていました。リバティアイランドの三冠達成の陰には、松崎さんのきめ細やかなケアと調整力があったことは間違いありません。
生い立ちと人柄
松崎さんは福岡県豊前市で生まれ育ち、幼少期から馬に親しむ環境にあったわけではありません。しかし、北海道の牧場で働き始めたことが転機となり、競馬の世界に足を踏み入れます。
牧場勤務時代には、1995年の宝塚記念でライスシャワーが故障により予後不良となった瞬間をテレビで見て、ショックのあまり画面を消してしまったというエピソードがあります。馬の事故に対して非常に繊細な感情を持ち、常に「馬第一」の姿勢を貫いてきたことがうかがえます。
リバティアイランドとの絆
松崎さんの代表的な担当馬であるリバティアイランドは、2022年に牝馬三冠を達成し、多くのファンを魅了しました。その育成・管理において松崎さんが果たした役割は非常に大きく、厩舎関係者からも「彼なしでは成し得なかった」と語られています。
しかし、松崎さんの逝去からわずか1週間後、リバティアイランドも旅立ってしまいます。中内田調教師は「そんなに急いで追いかけなくても…でもあれだけ愛してくれた松崎さんのそばに早く行きたかったのかもしれない」とコメント。二つの命の別れは、多くの人の胸を打ちました。
競馬界からの追悼の声
松崎圭介さんの訃報は、多くの調教師や騎手、ファンから追悼のメッセージを呼びました。厩舎スタッフからは「体調が悪い中でも、いつも通り馬や私たちに接してくれた」「チームにとってかけがえのない存在だった」といった声が相次いでいます。
また、ファンからはSNS上で
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「リバティと一緒に天国で走ってください」
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「松崎さんのおかげで素晴らしいレースを見られました」
といった感謝の言葉が寄せられました。
まとめ
松崎圭介さんは、競馬界において華やかな表舞台に立つタイプではありませんでしたが、陰で馬たちを支え、その才能を引き出す「名調教助手」として長年活躍してきました。死因は病気によるもので、詳細は公表されていませんが、最後まで仕事と馬への愛情を失わずに生き抜きました。
彼が遺した功績や人柄は、多くの人の記憶に残り続けるでしょう。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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